最後に選んだ財産が記憶ではなく魔界行きの片道切符だった場合

Twitterで投げた「最後に選んだ財産が記憶ではなく魔界行きの片道切符だった場合」なifガ清短文SS
続いたら直接記事編集して追記するかもしれない

「そばにいる」
一緒に過ごしたちいさな部屋に、開け放たれた窓から風が吹き込んでくる。タッセルが留め金をすり抜け、カーテンは大きく裾を広げた。
「何をおいても、だ」
彼がこうして目線をあわせて言い聞かせてくる時は、もうとっくに彼の中で覚悟が決まってしまったあとなのだ。自分はただ、それに頷きを返せばいい。自分たちは、そうやってここまでの戦いを駆け抜けてきた。
大丈夫。二度も取りこぼしたりはしない。彼が何を捨てるつもりでいても、自分が一歩後ろにしっかりついて、うちすてられたそれを拾い上げてやればいい。

—–

「清麿ー! 今日の分の仕事と勉強がおわったのだ!」
「あー、はいはいうるせえな分かったから出てけ」
「ウヌ……清麿はもっとこう、私が騒ぐとそれよりも大声で「やかましい!」と言ってきてくれぬと調子が狂うのだ……」
「オレはこの物理法則ガン無視摩訶不思議世界の仕様把握で忙しい」
この幼児が何を期待しているのか知らないが、正直余計な労力は割きたくない。
なにより目が覚めて五日だ。たった五日で、現状を飲み込んで行動方針まで決められるわけがない。
「スマヌのだ。魔界に来てから清麿がずっと目覚めなかったから、またこうして話ができるのがうれしゅうての」
名前。高嶺清麿。性別。男。年齢。十四歳。……のはずなのだが、伝え聞いた限りでは自分にはどうもここ一~二年の記憶が欠落しているらしく、自分は十五、次に誕生日を迎えれば十六になるらしい。
「遊びにいくのだ!」
「行かねえよ」
「しかし清麿、もう持ち込んだ本は読み終わったのではないかの? 新しい本を取りに行くのだ」
「うっ……」
私が一緒にいれば持ち出し禁止の本でも借りてこれるのだ! 自分を王様だと自称する目の前の幼児が、満面の笑顔でこちらの手を握ってくる。実際、こいつを連れていると本当にあらゆる本が手続きスキップで持ち出せてしまう。おそらく手続きまわりで司書の仕事が増えているだろうが、こいつがある程度身分のある立場だというのは事実なのだろう。
「遊びはしねえぞ」
「清麿とお出かけなのだ!」
「本借りてくるだけだからな」
「ウヌ! 返却する本は私が持とう」
自分が椅子から腰を浮かすと、チビは目に見えて表情を輝かせた。机に積みあがった本の山は一度に運ぶには間違いなく台車が必要な量だが、どういう構造をしているのかチビの服の裾――あれはマントか? まあ、布が伸びて本をまとめて包み込んだ。つくづく思うが便利だなそれ。
このチビすけが言うには、自分は自ら望んでこの世界――「魔界」に足を踏み入れたらしい。そしてその代償に記憶を失った、とも。どこまで本当だか知らないが。記憶のないこちらには判断材料が圧倒的に足りていない。自分を部屋から強制的に連れ出して、着の身着のまま魔界に放り込んで記憶を奪った可能性だって考えられる。
とはいえ、その可能性と自発的に魔界に赴いた可能性とでは五分くらいの確率だろうと見ている。なにせ自分は、あちらの世界に心底愛想をつかしていた。たとえばひょんなことからこのチビが部屋に侵入してきて、このような世界など捨てて魔界に来ないか、と誘ってきたとしたら、頷いてしまわないとは言い切れない。
残してきた家族に思うところがないでもないが、部屋にこもりきりで顔も見せないような息子など居ても居なくてもたいしてかわりはしないだろう。むしろ食事の用意をせずに済むだけ楽かもしれない。自分があの日のまま失踪したのであれば、まだしばらく死亡届は出せないだろうが。
「清麿」
「なんだよ」
「やっぱり清麿は清麿なのだ。忘れていても、私が呼びかけたらちゃんと答えてくれるようになったのだ」
「……ああ、そう」
この子供を、邪険にしきれない自分がいる。与えられた部屋にこもりきりの生活はあちらでもこちらでもてんでかわりばえしないというのに、身体の、胸の奥底で小さな衝動がやまないのだ。
彼の望みを、願いをかなえたいという想いが。
記憶のない二年間に何かがあったのか、それとも魔界に連れてこられて意識を失っている間に何らかを施されたのか。頭では後者の可能性を重く見ていても、感情がそれをよしとしない。
彼は疑うべき存在ではない、と、何度も、まるで呪いのように。